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告知要申し込み4・13院内集会 原発震災から子どもたちを守れ!

※転載歓迎
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【緊急報告】
原発震災から子どもたちを守れ!
~専門家・市民による独立放射能汚染調査報告と要請~

    http://www.foejapan.org/infomation/news/evt_110413.html
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福島第一原子力発電所の事故に伴い、避難勧告、屋内退避が政府から出されてい
ますが、避難勧告の範囲外であっても、高い放射線量が確認されている地域もあ
ります。そんな中、福島県の小学校では、新学期が始まろうとしています。

政府の20km圏以内の避難指示、20~30kmの自主避難要請は、果たして適切なので
しょうか。

このたび、専門家、市民のそれぞれ2つのチームが独自の調査を実施しました。

京都大学原子炉実験所の今中哲二助教率いる「飯舘村周辺放射能汚染調査チーム
」は、原発から北西方向25km~45km に位置する飯舘村において放射線調査を実
施し、福島県内の他地域に比べて汚染の大きい、ホットスポットと推定される放
射能汚染が生じていることが認められました(注1)。また、15年にわたり同村
で持続可能な村づくりを支援してきた日本大学生物資源科学部糸長浩司教授から
、住民のくらしと生業を守るためにどのような対策が必要なのか解説いただきま
す。

福島県内と隣接する宮城県南部を中心に活動する市民団体が、各地の小学校校庭の
放射汚染状況を調査し、校庭の一部に放射能量が高いホットスポットと言われる部
分が存在することがわかりました。新学期に伴い、子どもたちをいかにして守るの
か、福島老朽原発を考える会(フクロウの会:注2)の阪上武さんが解説いたしま
す。

(注1)飯舘村周辺放射能汚染調査チーム暫定報告
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No110/iitatereport11-4-4.pdf
(注2)フクロウの会HP
http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/

【日時】2011年4月13日(水)15:00~16:30
【場所】衆議院第2議員会館多目的会議室(定員140名)
【講師】(敬称略)
今中哲二(京都大学原子炉実験所助教)
糸長浩司(飯舘村後方支援チーム代表、日本大学生物資源科学部教授、
                 NPO法人エコロジー・アーキスケープ代表)
小澤祥司(飯舘村後方支援チーム)
浦上健司(飯舘村後方支援チーム)
阪上武(福島老朽原発を考える会 代表)
【主催】
飯舘村後方支援チーム
福島老朽原発を考える会
国際環境NGO FoE Japan
【協力】
環境エネルギー政策研究所
原子力資料情報室
「環境・持続社会」研究センター(JACSES)
【資料代】
500円
【定員】140名(定員に達し次第、締め切らせて頂きます)
【お申込】要申込
下記URLの専用申込みフォームよりお申込ください↓
http://www.foejapan.org/infomation/news/evt_110413.html
【お問い合わせ】
国際環境NGO FoE Japan 担当:満田、渡辺
〒171-0014 東京都豊島区池袋3-30-8 みらい館大明1F
Tel: 03-6907-7217 Fax: 03-6907-7219
Email: finance@foejapan.org

※議員会館の外からお越しの参加者には、14:45から15:15まで、衆議院第2議員
会館の入口で入館証を配布します。大幅に遅れる場合は、あらかじめご連絡くだ
さい。
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4月11日(月)<緊急講演会>「福島原発は今? どう向き合う核汚染!」

<緊急講演会>「福島原発は今? どう向き合う核汚染!」

 <地球の危機>と懸念されている藤田祐幸さんに、
福島原発の今の状況と、すでに核汚染国になってしまった私たちの現実にどう向き合っていくか、
正しく怖れ、どこに希望を見いだすか、ともに考えてみたいと思います。

◎講師 藤田祐幸さん: 元慶応大学助教授、現長崎県立大学シーボルト校非常勤講師。
物理学、環境論、科学史などを講ずる。
チェルノブイリ汚染地域、コソボの劣化ウラン弾、イラクのウラン弾などを調査。
『エントロピー』『知られざる原発被曝労働』
『ポスト・チェルノブイリを生きるために』『脱原発のエネルギー計画』など著書多数。


◎「若狭から都市市民への問いかけ」中嶌哲演さん (小浜市明通寺住職)

日 時: 4月11日(月)18:30~21:00 (18:00開場)

場 所: 龍谷大学アバンティ響都ホール (京都駅八条口アバンティビル9階) 075-671-5670
http://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/traffic/t_hall.html 

資料代: 500円

主 催: 「いまこそ原発を問う連続講座」実行委員会

連絡先: 「地の人・宗教対話センター」 TEL/FAX 077-596-1233  携帯 090-4037-2158 (里中さん)

(予告) 5月頃に石橋克彦さん (地震学者) の講演会も予定しております。

<お願い>
① 当日の配布資料集に賛同団体などのお名前を書く予定です。
今回の講演会にご賛同、ご協力願える方、団体の方は「地の人・宗教対話センター」へご連絡ください。
準備を急ぎましたので、今回の情宣はメールを基本としチラシ印刷に対応しきれませんでしたの、ご了解ください。

② ホール収容可能人数は約 350 人です。当日はかなりの混雑が予想されます。
 特にエレベーター 2 台、1 階から 9 階という環境での会場整理にスタッフが必要と思いますので、
当日の運営にご協力していただける方は里中までご連絡をお願いします。
当日は 5 時集合、9 時半解散を予定しております。なにとぞお力添えをよろしくお願いします。

原発をとめることについて

「原発を止める、無くす」と言えば、決まって言われることがある。

「原発を止めて、電力はどうするの?」
「他に代わる発電を示してから言ってほしい。」


すぐさま、無計画に止めて、電力の無い中で過ごせと言っているのではない。
けれど、もう大きな危険があることが福島第一原発の事故で、
多くの人に伝わったはずだろう。
地震大国のこの国に原発は危な過ぎるのだ。

今回の事故は、原発を推進してきた人たちの話では、
天文学的確率でしか起こり得ないことだったらしい。
けれど、それは実際に起こった。
今回の事故では、運良く制御棒が働いていた。
地震の大きさがあそこまでいかなくとも、制御棒が働かなかったら…。


今でも福島原発では、原子炉が大きな損傷の危機にある。
それを止めようと作業にあったっている人が被曝し続けている。
年間に浴びて大丈夫と法律で決められている放射線量は、1ミリシーベルト。
あそこでは、毎時(!)1000ミリシーベルトの放射線が観測されている。

事故を起こさなくても、原発を動かしていくということは、
必ず誰かが被曝し続けているということだ。
僕はそれを知っていた。
知っていたのに、今までろくに行動もしなかった。
全くしなかったわけではないにしろ、
原発に反対しながら行動を続けていなかった。
10年ほど前、浜岡原発の反対集会に参加した。
その時ですら、原発は老朽化して危ないと言われていたのに。


今すぐにでも、少しずつでも原発を止めなければいけない。
(新しい原発を作る計画を白紙も含めて、再検討すると首相は言ったそうだ)
燃料棒は、原子炉を止めてからも冷やし続けなければいけない。
燃料棒の中の放射性物質は、崩壊し熱を出し続けるからだ。
ウラン21トンに対して
石油換算では30万トンタンカー5台ぐらいになるそうだ。
だから、原子炉を止めてからも
40年間ほど冷やし続けなければいけないらしい。

40年間だ。もう、今の大人たちの大半は老人か死んでいるのだ。
それを管理しなければいけないのは、今のこどもたち。
これから生まれてくるこどもたちなのだ。
その間に、大きな地震が来ないと誰が言えるだろう。
その間に、また今回のような不測の事故がないと言えるだろうか。

廃炉にしたってまだそれでおしまいというわけではない。
原発自体にも放射能は残っている。
それも管理しなければいけない。
冷えた使用済み核燃料、それもまた始末に世界中が困っている。
穴を掘って地中に埋めるしかなかったり、海に捨てているらしい。

報道でよく聞かれるセシウムの半減期は30年。
けれど、燃料にはウランやプルトニウムがある。
それらの半減期は、人類史を折り返しても足りない。
そういう物を僕らのこの世界は掘り出し、使用してしまっているのだ。
こんなものを次世代に残してもいいものだろうか。


放射線は医療や古い物を鑑定する時にも使われる便利なところもある。
けれど、原発の存在自体をそれで肯定はできない。
エネルギーの量が違いすぎる。
暴走したら最後、誰にも止められないというものが安全なわけはない。
人が管理するものなのだ。人は完全ではないのだ。
しかも、数世代に渡り管理し続けなければいけないのだ。

それでもまだ「電力が足りなくなるじゃないか」と言えるのだろうか。
足りないなら足りないなりに、僕らは他の道を探せないだろうか。
僕は気付いた。
原発は止めないといけない。
原発を「今」無くすという決意で、無くしていかなければいけないことを。

人間は宇宙にも行ける科学力を持っている。
必ず他の代替エネルギーは見つけていけるだろう。
人間はもっとゆっくりとのんびりと生活できるはずだ。
僕らは生活を変えていける。

こどもだった僕が大人になって生きてこれた世界を、
今度は僕らが大人としてこどもたちに残してやらなければいけない。


4月3日デモ 「原発をとめろ!核事故の真相を明かせ!こどもを救え!

原発をとめろ!
核事故の真相を明かせ!
こどもを救え!


電力を使っているからって黙っていてはいけない。
同じことが二度と起こらないように、
未来に対しての責任が私たちにはある。

パニックが恐ろしいという。
けれど、危険が近くにあるのに静かに慣れてしまうのは、
もっと恐ろしいことではないか。


4月3日 16時 デモ出発 ~    ※雨天決行 

コース 三条川原→河原町通→河原町通仏光寺→折り返し
     →市役所前 解散

集合   15時

    ※プラカードなどを持参してください。


主催:原始力の会とピースウォーク京都



「放射能の測定器設置とデータの開示などを求める」


●「放射能の測定器設置とデータの開示などを求める」とは、どういうことか。

「放射線や放射性物質は目に見えない。」
だから、それが危険だとしても、またいくらかならマシだとしても、
大量に飛んできていても、少ないにしても、
見えないままだと、どういう対応をしていいのか判断することができない。

これから何をするにしても、放射能の危険がなくなるまでは、
それを「目に見える」ようにして、判断ができるようにしなければいけない。
そして、それは早い方がいい。
放射線や放射性物質を検出できる測定器が多ければ多いほど細かく測定できる。

ただ、その測定結果が一方的に知らされるような状態では、
個々に判断して行動することができない。
一目で判断できる情報として、いつでも誰でも知ることができるように
公開されていなければいけない。


●3月11日の「日本の被災」について個人的な想い

福島原発で水素が爆発して建屋が吹っ飛んだというニュースを聞いた時、
僕は100キロ圏の人はみんな避難してもらった方がいいのではと思った。
地震と津波によって悲惨な状況を知っていても、
救助の手が全然届いていないことを知っていても、
住み慣れた町、想い出の詰まった土地を離れることが辛いだろうとは思っても、
すぐに政府は最大限の力で住民を避難させるべきだと思った。
そうした方が安全を確保できるし、支援もできると思ったからだ。

日が経つにつれて、原発の被害は大きなものとなり、
放射能の危険が広がっていった。
ただでさえ困難で、被害の極端な現地までの道のりに、
放射能という大きな障害ができていた。
放射能は、その多くが海へと飛んでいるようだけれど、
現地にいる避難所の人のもとへも関東平野にも広がりつつあるようだ。

テレビではシーベルト(Sv)という初めて聞く単位で
放射線についてと言われるが、
どの数値をどんな風に判断材料にしてよいのかわかりにくく、
その上、その判断材料の数値が全然、そろわない。
ついで食料品などに今度はベクレル(Bq)という聞きなれない単位が使われる。
原子核が崩壊して放射線を放つ量が1ベクレル。
それが計測されるということで、どんな種類の物質かもわかるのか、
とにかく何かがそこにあるということはわかるようになってきた。
けれども、全ての放射性物質が計測されているわけでもないようだ。

生活の中では、水を使い、風呂にも入れば、洗濯もする。その水も汚染の対象だ。
料理は一種類の単品ではないから、総合的な放射線量もわからない。
とにかく、多かれ少なかれ汚染があるならば、
それがどれほどの数値であるのかわからなければ、灯らない信号のようなものだ。


関西からは、関東や東北がどんな状況にあるのか大まかにしかわからない。
個々人の生活がどれほどに大変で、
どれほどに不安に塗りつぶされているのか、どれほど悩ましい状態なのか。

「現地にいる避難所の人たちが我慢しているのに」と関東の人たちも我慢して、
そこでの生活を続けているらしい。
「せめてパニックにならないように」と精一杯頑張っているようだ。
けれど、もう「買占め」や「ガソリン不足」というパニックが
起きているように思える。
明らかに、何らかの不安と何らかの判断によってそれは起きている。


「冷静に判断してください」と「デマやチェーンメールに注意」と政府が言った。
テレビでは、専門家、学者と呼ばれる人たちが話している。
専門家や学者と呼ばれる全ての人が正しいのだろうか。
それとも間違っているのだろうか。
(僕は学問とは「全ての人間に寄与するもの」と考えている)
テレビに出ている多くの学者は原発を「安全なもの」と言っていた人たちでは
なかったのだろうか。
いずれにせよ、全部を人任せにしていて自分で選ぶという暮らしができるだろうか。

「まだ逃げることもできない現地の人を置いて、
自分たちが逃げるわけには行かない。」
関東に暮らしている多くの人たちがそう思っているのかもしれない。
けれども、この震災被害は日本全体のことではないだろうか。
関東の人もまた、仕事や住居、
生活の基盤となる事柄から離れるとなると苦しいどころではないと思う。

しかし、乳児は大人の3倍も放射線に対し感受性があるということだ。
ましてや、胎児ならどうだろうか。
また、これから生まれてくるこどもはどうなるのか。
せめて、小さなこどもがいる家庭だけでも
長期に渡り避難できる体制を作れないだろうか。
それが無理にしても、相応の補助金が出せないものだろうか。


関西にいてもわかることは、今、相当の支援とそれに見合う物資やお金、
時間が必要だろうということ。
避難してくる人を確実に受け入れていかなければいけないということ。
そして、それらを補償するのが国だとするなら、それらを揃えるためのお金がいる。
莫大な税金が使われることになると思う。


自給率が3割強という中、そのさらに何割が失われることになるだろうか。
海の汚染もどうなるものかわからない。
日本の経済力も落ちるだろう。
世界でも有数の食糧輸入国である日本であっても、食糧難のことを考えてしまう。
自給率を上げなければどうしようもないと思う。

原発の事故を、原発の被災を、ただの事故や被災と考えていいだろうか。
地震大国だと自他ともに認識できる国で、あの原発が作られていたこと。
東京電力のついていた嘘もそうだが、
それを結果として認めていたこの国の「過ち」ではないだろうか。


この「日本の被災」を機に、今からでも最善を尽くして、
こどもたちが安心して暮らせる世界を残していかなければいけないと思う。
そして、まだ現地は孤立していると言っていい状態であるし、
原発は危機的状況から脱してはいない。

デモを終えて



何人集まるのか全くわからなかった。

14時からプラカード作りのため仲間内の数人が集まり、
急いでプラカードを作る。
埼玉から大阪に避難したという男性も作業に加わってくれた。

すぐに何十枚かのプラカードができあがった。
今までいろんな運動をしてきたため層になっているプラカード。


15時になってみると既に100人以上はゆうに集まっていた。
僕が主催者だったので最初のマイクを握る。
唐突に「今から原発を止めろ、核事故の真相を明かせ、こどもを救え」
というデモを始めるからと通行中の人に向かって話しかけた。

ずっと考えていたはずの言葉はうまく出てこなかった。
寝不足のせいもあったかもしれない。

僕の仲間が代わってくれて、それから参加しに集まってきてくれた人に
「どなたでも話したい人はどうぞ」と呼びかける。

32年前にスリーマイル島で事故が起こった時も同じ場所にたち、
「原発は危ないんだ」と言っていた人。
広島に爆弾が落ちた時、満員のバスの真ん中にいたので助かったおじいさん。

顔見知りの人。
全然知らない人。
大阪から、東京から、三重から、そして仙台から。

いろんなところから集まって来ていた。
みんな僕の呼びかけに、自主的に来てくれていた。

昨日、インターネットで調べてみると、たくさんの人が今日のデモを
ツイッターやmixi、個人のプログなどで発信してくれていた。

僕は主催者として、
集まった人ができるだけ自由に発言したり表現できるようにしたい、
とそれだけを考えていた。


16時になってデモが出発する。
出発する頃には200人以上になっていただろうか。

みな持参したものや僕らが用意したいろいろな種類のプラカードを持っていたり、
いろんな楽器を吹いたり鳴らしたり、
ハンドマイクを持参して発言したりしていた。

僕もマイクを持っていたけれど、何も頭から出てこない。
素直にそれをみんなにマイクで言うと、
一人の女性がマイクを取って発言してくれた。

その人は仙台からこどもたちを連れて逃げてきた人だった。
「みんなに逃げようって言ったけど、親戚もみんな逃げてくれなかった」
「福島の人はのんびりしていて、そして我慢強くて、
自分から『逃げる』なんて言わない。だから、せめてこどもだけでも」
「関西の人は温かくて、初めて会ったわたしたちを泊めてくれたり支えてくれた」
「京都の人もお願いです!こどもたちだけでも逃げられるように、
このデモに入ってくれませんか」
「わたしはこのデモに参加している人たちは本当にまともだと思います」
「地震は想定外だったって言うけれど、原発を反対していた人たちには、
ずっと想定内のことだったんです」
「わたちは、ずっと原発の反対運動をしてきた人たちはリスペクトしています」

チェルノブイリのこどもたちがどうなったのか、その人は知っていた。
僕がデモの中で言いたかったこと。
日記で書いていたようなこと。
僕が言えない分も、それ以上のことを必死に息を切らせながら、
1時間は語りかけ続けてくれた。
この人のために僕はデモをやっているのかと思ったほどだった。

デモの列は三条から四条へ向かう時には、出発の時の倍以上に膨れ上がっていた。
200mほど後ろに最後尾のパトカーが見える。
真ん中でも、持参したマイクで街頭に語りかける人がいたし、
音楽はところどころで鳴っていた。
デモの列と歩道が「近い」そんな気がした。

最後尾では僕の友達がサックスを吹きならし、そのまた友達がたいこを叩き、
職場の仲間がディジュリジュを演奏していた。
いろんな人が様々な表現で、原発を止めようとしていた。

デモは、コースを歩き終え、そのまま市役所前の広場に集まった。
再び仙台からの人、こどもたちの母さんが僕らに語りかける。
まだアピールを終えてない人たちがそれぞれのアピールを終え、
最後に僕が決意表明をした。

「必ず原発を止めると決意すること。そして、原発を止めよう、無くそう!」
みんなから拍手が上がった。
「まだこれから次に何をしようか、まだ考えていない。
けれど、大切なのはここで集まった人がそれぞれに繋がっていくこと。
繋がっていこう。」

そう言って、デモを終えた。



デモの様子を言葉にするのは難しい。
それが自由であればあるほど難しくなるだろう。

デモはこれからデモの形を無くしていかなくてはいけない。
路上と歩道との柵を乗り越え、
まだはっきりとは自分のことだと自覚していない
多くの人との気持ちの差を乗り越え、
それぞれの思想を越え、
僕らが手にすべき自由への道を歩めるように。

それがどんな形のものになるのか。
僕はまだそれを知らない。
けれど、夢を見る僕はそれを知っている。


デモは自由への前進だ。
それに参加すること、それに協力すること、
みんな誰かに言われたからやるのでは意味がない。
デモによって何かがなされることよりも、
デモによって、自分の意志で自由へと進むことが、
今の僕らには重要なのかもしれない。

まず、原発を自らの意志で、みんなの意志で止めよう。
そして、無くしていこう。

原発を止めても、こどもたちにはまだ
安全な世界を残してはやれないかもしれない。
だから、今は、原発を止めることと、
自由を求める姿をこどもたちに見せてあげたい。

僕らにはまだできることがたくさんあるのだから。



プロフィール

北白川原人

Author:北白川原人
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