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原発をとめることについて

「原発を止める、無くす」と言えば、決まって言われることがある。

「原発を止めて、電力はどうするの?」
「他に代わる発電を示してから言ってほしい。」


すぐさま、無計画に止めて、電力の無い中で過ごせと言っているのではない。
けれど、もう大きな危険があることが福島第一原発の事故で、
多くの人に伝わったはずだろう。
地震大国のこの国に原発は危な過ぎるのだ。

今回の事故は、原発を推進してきた人たちの話では、
天文学的確率でしか起こり得ないことだったらしい。
けれど、それは実際に起こった。
今回の事故では、運良く制御棒が働いていた。
地震の大きさがあそこまでいかなくとも、制御棒が働かなかったら…。


今でも福島原発では、原子炉が大きな損傷の危機にある。
それを止めようと作業にあったっている人が被曝し続けている。
年間に浴びて大丈夫と法律で決められている放射線量は、1ミリシーベルト。
あそこでは、毎時(!)1000ミリシーベルトの放射線が観測されている。

事故を起こさなくても、原発を動かしていくということは、
必ず誰かが被曝し続けているということだ。
僕はそれを知っていた。
知っていたのに、今までろくに行動もしなかった。
全くしなかったわけではないにしろ、
原発に反対しながら行動を続けていなかった。
10年ほど前、浜岡原発の反対集会に参加した。
その時ですら、原発は老朽化して危ないと言われていたのに。


今すぐにでも、少しずつでも原発を止めなければいけない。
(新しい原発を作る計画を白紙も含めて、再検討すると首相は言ったそうだ)
燃料棒は、原子炉を止めてからも冷やし続けなければいけない。
燃料棒の中の放射性物質は、崩壊し熱を出し続けるからだ。
ウラン21トンに対して
石油換算では30万トンタンカー5台ぐらいになるそうだ。
だから、原子炉を止めてからも
40年間ほど冷やし続けなければいけないらしい。

40年間だ。もう、今の大人たちの大半は老人か死んでいるのだ。
それを管理しなければいけないのは、今のこどもたち。
これから生まれてくるこどもたちなのだ。
その間に、大きな地震が来ないと誰が言えるだろう。
その間に、また今回のような不測の事故がないと言えるだろうか。

廃炉にしたってまだそれでおしまいというわけではない。
原発自体にも放射能は残っている。
それも管理しなければいけない。
冷えた使用済み核燃料、それもまた始末に世界中が困っている。
穴を掘って地中に埋めるしかなかったり、海に捨てているらしい。

報道でよく聞かれるセシウムの半減期は30年。
けれど、燃料にはウランやプルトニウムがある。
それらの半減期は、人類史を折り返しても足りない。
そういう物を僕らのこの世界は掘り出し、使用してしまっているのだ。
こんなものを次世代に残してもいいものだろうか。


放射線は医療や古い物を鑑定する時にも使われる便利なところもある。
けれど、原発の存在自体をそれで肯定はできない。
エネルギーの量が違いすぎる。
暴走したら最後、誰にも止められないというものが安全なわけはない。
人が管理するものなのだ。人は完全ではないのだ。
しかも、数世代に渡り管理し続けなければいけないのだ。

それでもまだ「電力が足りなくなるじゃないか」と言えるのだろうか。
足りないなら足りないなりに、僕らは他の道を探せないだろうか。
僕は気付いた。
原発は止めないといけない。
原発を「今」無くすという決意で、無くしていかなければいけないことを。

人間は宇宙にも行ける科学力を持っている。
必ず他の代替エネルギーは見つけていけるだろう。
人間はもっとゆっくりとのんびりと生活できるはずだ。
僕らは生活を変えていける。

こどもだった僕が大人になって生きてこれた世界を、
今度は僕らが大人としてこどもたちに残してやらなければいけない。


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