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罪について

世の中にはさまざまな罪がある。
しかし、万人を不幸におとしいれるような罪というのは、
中でももっとも重い。

政治家の不正、報道の怠慢、不正への加担。プロパガンダ。


これまでも日本政府は、数々の不正をしてきた。
嘘に嘘を重ね、どうしようもなく人々を欺いてきた。

今、さらに大きな罪を犯そうとしている。

日本政府は、原子力を安全なもの、放射能を安全なものと
また人々を騙そうとしている。

逃げなくていい、影響はない、とそう言っている。
しかし、数十年の間にこの放射能の影響は絶対に出るだろう。

絶対に、だ。
それがたった一人だとしても、絶対に出る。
僕はそう確信している。

たった一人というのは、少ないことだろうか。
たった一人でも嘘に騙され、影響の外と捉えられ、
人生を狂わせられていいだろうか。

憲法で人権が保障される、この法治国家で、だ。


一人なわけがない。

すでに多くの人の人生が狂わされ、放射能の影響のせいで
助けが来ずに死んだ人もいるのではないか。

今、必死に作業にあったっている人はどうなる。
今まで原発で働いてきた人はどうなる。
微量でも放射能の影響でガンになった人はどうなる。
広島・長崎でガンになった人や、死んだ人、
その後、生まれながら身体に放射能による奇形がある人はどうなる。


政府は、放射線の許容量の値を上げようとしている。
今までの年間許容量は1ミリシーベルトだった。
なぜ、それではいけないのだ。

影響が出ないとしても、それ以上の放射線を浴びたい人がどこにいるのだ。


僕はただ安心して暮らしたいだけだ。
他に多くは望まない。
苦労することは構わない。便利でなくてもいい。

好きな人たちと愛し合って、こどもたちと楽しく暮らしたい。
それだけでいい。他に何も要らない。
どうして、安心させてくれないのだ。

そんなに難しいことを僕は望んでいるのか。


僕は怒りで頭がおかしくなりそうだ。
一体、彼らはどんな顔をして「放射能安全キャンペーン」などと言うのだ。

幸せになりたくないのか。
一人で勝手になれると思っているのか。
人を不幸にして手に入るとでもいうのか。


ボクらは何も間違っていない。
原発の罪は、放射能にあるのではない。
彼らの嘘、万人を欺くという行為、その罪が根源だ。

これを許してはいけない。
これに対してボクらは怒りを示そう。




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またデモをしようと思う

入ってくる情報を聞く度に「どないしたもんかんあぁ」と思う。

とにかく、街に出るしかない。

街に出て大声で、「原発はあかんやん」と叫び、集まってみんなで考えたい。

一人じゃできないことも、集まればなんとかなったりする。
ボクらは知らない間に、ずいぶんと一人ぼっちにされてしまっているんだ。

人を管理して、思い通りに動かそうとする人たちがいる。
そういう人たちの意図通りにうつむいて暮らしていてはだめだ。

素直に自分の胸の内を明かせば、
似たような思いを抱いている仲間はいるものだ。

時にはぶつかることもある。
しばらく離れてしまうことだってある。
でも、いつかみんな気付く。
「ダメなことはダメだ!」って。

そう気付いてしまったら、もうそれほど変わることはない。
そして、仲間になったらいい。


そんな出会いが街にある。


「原発をとめる」ということは要求でもあるが、命令でもある。

僕は政府に、主権者(差別的だが、そうであるからこそ)として命令する。
「そんな危険なものはただちにやめたまへ。」と。

結局、被曝するのはボクら。その補償をするのもボクらなんだから。

誰が議員であろうが知ったこっちゃない。
「ダメなものはダメだ」と言おう。
すでに多くの人の人生が狂わせられてしまった。

今すぐに止めなきゃだめだ。後回しにしていてはだめだ。
気付いたなら、変わらなきゃいけない。

原発をとめることについて

「原発を止める、無くす」と言えば、決まって言われることがある。

「原発を止めて、電力はどうするの?」
「他に代わる発電を示してから言ってほしい。」


すぐさま、無計画に止めて、電力の無い中で過ごせと言っているのではない。
けれど、もう大きな危険があることが福島第一原発の事故で、
多くの人に伝わったはずだろう。
地震大国のこの国に原発は危な過ぎるのだ。

今回の事故は、原発を推進してきた人たちの話では、
天文学的確率でしか起こり得ないことだったらしい。
けれど、それは実際に起こった。
今回の事故では、運良く制御棒が働いていた。
地震の大きさがあそこまでいかなくとも、制御棒が働かなかったら…。


今でも福島原発では、原子炉が大きな損傷の危機にある。
それを止めようと作業にあったっている人が被曝し続けている。
年間に浴びて大丈夫と法律で決められている放射線量は、1ミリシーベルト。
あそこでは、毎時(!)1000ミリシーベルトの放射線が観測されている。

事故を起こさなくても、原発を動かしていくということは、
必ず誰かが被曝し続けているということだ。
僕はそれを知っていた。
知っていたのに、今までろくに行動もしなかった。
全くしなかったわけではないにしろ、
原発に反対しながら行動を続けていなかった。
10年ほど前、浜岡原発の反対集会に参加した。
その時ですら、原発は老朽化して危ないと言われていたのに。


今すぐにでも、少しずつでも原発を止めなければいけない。
(新しい原発を作る計画を白紙も含めて、再検討すると首相は言ったそうだ)
燃料棒は、原子炉を止めてからも冷やし続けなければいけない。
燃料棒の中の放射性物質は、崩壊し熱を出し続けるからだ。
ウラン21トンに対して
石油換算では30万トンタンカー5台ぐらいになるそうだ。
だから、原子炉を止めてからも
40年間ほど冷やし続けなければいけないらしい。

40年間だ。もう、今の大人たちの大半は老人か死んでいるのだ。
それを管理しなければいけないのは、今のこどもたち。
これから生まれてくるこどもたちなのだ。
その間に、大きな地震が来ないと誰が言えるだろう。
その間に、また今回のような不測の事故がないと言えるだろうか。

廃炉にしたってまだそれでおしまいというわけではない。
原発自体にも放射能は残っている。
それも管理しなければいけない。
冷えた使用済み核燃料、それもまた始末に世界中が困っている。
穴を掘って地中に埋めるしかなかったり、海に捨てているらしい。

報道でよく聞かれるセシウムの半減期は30年。
けれど、燃料にはウランやプルトニウムがある。
それらの半減期は、人類史を折り返しても足りない。
そういう物を僕らのこの世界は掘り出し、使用してしまっているのだ。
こんなものを次世代に残してもいいものだろうか。


放射線は医療や古い物を鑑定する時にも使われる便利なところもある。
けれど、原発の存在自体をそれで肯定はできない。
エネルギーの量が違いすぎる。
暴走したら最後、誰にも止められないというものが安全なわけはない。
人が管理するものなのだ。人は完全ではないのだ。
しかも、数世代に渡り管理し続けなければいけないのだ。

それでもまだ「電力が足りなくなるじゃないか」と言えるのだろうか。
足りないなら足りないなりに、僕らは他の道を探せないだろうか。
僕は気付いた。
原発は止めないといけない。
原発を「今」無くすという決意で、無くしていかなければいけないことを。

人間は宇宙にも行ける科学力を持っている。
必ず他の代替エネルギーは見つけていけるだろう。
人間はもっとゆっくりとのんびりと生活できるはずだ。
僕らは生活を変えていける。

こどもだった僕が大人になって生きてこれた世界を、
今度は僕らが大人としてこどもたちに残してやらなければいけない。


デモを終えて



何人集まるのか全くわからなかった。

14時からプラカード作りのため仲間内の数人が集まり、
急いでプラカードを作る。
埼玉から大阪に避難したという男性も作業に加わってくれた。

すぐに何十枚かのプラカードができあがった。
今までいろんな運動をしてきたため層になっているプラカード。


15時になってみると既に100人以上はゆうに集まっていた。
僕が主催者だったので最初のマイクを握る。
唐突に「今から原発を止めろ、核事故の真相を明かせ、こどもを救え」
というデモを始めるからと通行中の人に向かって話しかけた。

ずっと考えていたはずの言葉はうまく出てこなかった。
寝不足のせいもあったかもしれない。

僕の仲間が代わってくれて、それから参加しに集まってきてくれた人に
「どなたでも話したい人はどうぞ」と呼びかける。

32年前にスリーマイル島で事故が起こった時も同じ場所にたち、
「原発は危ないんだ」と言っていた人。
広島に爆弾が落ちた時、満員のバスの真ん中にいたので助かったおじいさん。

顔見知りの人。
全然知らない人。
大阪から、東京から、三重から、そして仙台から。

いろんなところから集まって来ていた。
みんな僕の呼びかけに、自主的に来てくれていた。

昨日、インターネットで調べてみると、たくさんの人が今日のデモを
ツイッターやmixi、個人のプログなどで発信してくれていた。

僕は主催者として、
集まった人ができるだけ自由に発言したり表現できるようにしたい、
とそれだけを考えていた。


16時になってデモが出発する。
出発する頃には200人以上になっていただろうか。

みな持参したものや僕らが用意したいろいろな種類のプラカードを持っていたり、
いろんな楽器を吹いたり鳴らしたり、
ハンドマイクを持参して発言したりしていた。

僕もマイクを持っていたけれど、何も頭から出てこない。
素直にそれをみんなにマイクで言うと、
一人の女性がマイクを取って発言してくれた。

その人は仙台からこどもたちを連れて逃げてきた人だった。
「みんなに逃げようって言ったけど、親戚もみんな逃げてくれなかった」
「福島の人はのんびりしていて、そして我慢強くて、
自分から『逃げる』なんて言わない。だから、せめてこどもだけでも」
「関西の人は温かくて、初めて会ったわたしたちを泊めてくれたり支えてくれた」
「京都の人もお願いです!こどもたちだけでも逃げられるように、
このデモに入ってくれませんか」
「わたしはこのデモに参加している人たちは本当にまともだと思います」
「地震は想定外だったって言うけれど、原発を反対していた人たちには、
ずっと想定内のことだったんです」
「わたちは、ずっと原発の反対運動をしてきた人たちはリスペクトしています」

チェルノブイリのこどもたちがどうなったのか、その人は知っていた。
僕がデモの中で言いたかったこと。
日記で書いていたようなこと。
僕が言えない分も、それ以上のことを必死に息を切らせながら、
1時間は語りかけ続けてくれた。
この人のために僕はデモをやっているのかと思ったほどだった。

デモの列は三条から四条へ向かう時には、出発の時の倍以上に膨れ上がっていた。
200mほど後ろに最後尾のパトカーが見える。
真ん中でも、持参したマイクで街頭に語りかける人がいたし、
音楽はところどころで鳴っていた。
デモの列と歩道が「近い」そんな気がした。

最後尾では僕の友達がサックスを吹きならし、そのまた友達がたいこを叩き、
職場の仲間がディジュリジュを演奏していた。
いろんな人が様々な表現で、原発を止めようとしていた。

デモは、コースを歩き終え、そのまま市役所前の広場に集まった。
再び仙台からの人、こどもたちの母さんが僕らに語りかける。
まだアピールを終えてない人たちがそれぞれのアピールを終え、
最後に僕が決意表明をした。

「必ず原発を止めると決意すること。そして、原発を止めよう、無くそう!」
みんなから拍手が上がった。
「まだこれから次に何をしようか、まだ考えていない。
けれど、大切なのはここで集まった人がそれぞれに繋がっていくこと。
繋がっていこう。」

そう言って、デモを終えた。



デモの様子を言葉にするのは難しい。
それが自由であればあるほど難しくなるだろう。

デモはこれからデモの形を無くしていかなくてはいけない。
路上と歩道との柵を乗り越え、
まだはっきりとは自分のことだと自覚していない
多くの人との気持ちの差を乗り越え、
それぞれの思想を越え、
僕らが手にすべき自由への道を歩めるように。

それがどんな形のものになるのか。
僕はまだそれを知らない。
けれど、夢を見る僕はそれを知っている。


デモは自由への前進だ。
それに参加すること、それに協力すること、
みんな誰かに言われたからやるのでは意味がない。
デモによって何かがなされることよりも、
デモによって、自分の意志で自由へと進むことが、
今の僕らには重要なのかもしれない。

まず、原発を自らの意志で、みんなの意志で止めよう。
そして、無くしていこう。

原発を止めても、こどもたちにはまだ
安全な世界を残してはやれないかもしれない。
だから、今は、原発を止めることと、
自由を求める姿をこどもたちに見せてあげたい。

僕らにはまだできることがたくさんあるのだから。



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北白川原人

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